1999年10月15日 | 有限会社一粒万倍 設立 | |
函南町商工会入会 | ||
三島田方法人会入会 | ||
2003年3月31日 | ピカイチ野菜くん®楽天店オープン | |
2004年1月24日 | ピカイチ野菜くん®Yahoo!店オープン | |
2005年9月 | 第1回Yahoo!うまいもの王者野菜部門1位 | |
2005年1月26日 | 静岡県経営革新 地経244号承認 | |
2005年11月1日 | 社屋完成 函南町上沢に移転 | |
2006年2月 | 第2回Yahoo!うまいもの王者野菜部門1位 | |
2006年9月 | 第3回Yahoo!うまいもの王者野菜部門1位 | |
三島信用金庫函南支店同友会入会 | ||
2007年2月 | 第4回Yahoo!うまいもの王者野菜部門2位 | |
2007年3月 | 日経トレンディーにて紹介 | |
2007年5月10日 | ピカイチ野菜くん®本店オープン | |
2007年9月 | 第5回Yahoo!うまいもの王者野菜部門1位 | |
2007年11月 | NHK やさい通信(総合)取材 | |
2008年2月 | 女性セブンにて紹介 | |
女性自身 にて紹介 | ||
NHK きょうの健康 掲載 | ||
中小企業家同友会三島支部入会 | ||
2008年10月 | NHKニュース9(総合)取材 | |
2008年11月 | 静岡第一TV ○ごとワイド出演 | |
日本テレビ Oha4取材 | ||
2009年 | 楽天ランキングにんじん部門1位 | |
無農薬冷凍にんじんジュース販売開始 | ||
無農薬冷凍青汁販売開始 | ||
楽天キャロットジュース部門1位 | ||
2010年 | 楽天有機野菜ランキング1位 | |
楽天キッチン家電ランキング1位 | ||
楽天ジューサー・ミキサーランキング1位 | ||
楽天ジューサーランキング1位 | ||
2010年12月 | 株式会社一粒万倍 設立 | |
静岡県三島市安久へ本店移転 | ||
2011年1月 | 第13期第1回経営方針発表会開催 | |
2011年4月 | 三島市商工会議所入会 | |
2011年6月 | エコアクション21 取得 | |
2011年11月 | 第14期経営方針発表会開催 | |
2012年8月 | 楽天 東海エリア 成功のコンセプト賞受賞 | |
本社ビル 函南町間宮に移転 | ||
2012年11月 | 第15期経営方針発表会開催 | |
盛和塾入会 | ||
楽天年間贈り物部門ランキング1位 | ||
楽天総合家電ランキング2位 | ||
2013年7月 | BOP(ビジネスコンティニュープラン)特別保証内定 | |
2013年9月 | 静岡社長 TV放映 | |
2013年10月 | 自社受注システム導入 | |
静岡新聞 「経済産業省 農商工等連携事業」記載掲載 | ||
自社受注システム導入 | ||
通産省 農商工連携 関連 第787承認 | ||
2013年11月 | 第16期経営方針発表会開催 | |
2014年2月 | 静岡県沼津インキュベートセンターに研究開発所(マザーベース)設置 | |
2014年3月 | 経営革新 商経第327号を取得 | |
日経MJに新事業記事掲載 | ||
日経新聞ニンジン新開発商品記事掲載 | ||
日経新聞インキュベートセンター開発設備記事掲載 | ||
楽天グルメ大賞 野菜・きのこ部門大賞受賞 | ||
2014年11月 | ジューサーメンテナンスセンター開設 | |
2014年12月 | 古物商許可証を取得
第491040253600 |
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2016年3月 | 楽天ショップ・オブ・ジ・エリア2015 東海・北陸エリア受賞 |
一粒万倍のルーツについて
株式会社一粒万倍のルーツについて書こうと思う。
株式会社一粒万倍の創業者、國末哲也の三代前の先祖、國末良吉が株式会社國末金庫を明治初期に創設したことが当社の起源になった。
日本人の手で最初の自動車が製造される。純国産蒸気バス(乗合自動車)の開発に成功。ガソリン乗用車第一号「タクリー号」の誕生。築地自動車製作所(國末金庫内)で「國末1号」完成。純国産自動車「ダット号」の誕生など当時の最先端の事業を進めていた。
明治42(1909)年、國末自動車製作所の前身、山田鉄工所は、國末金庫内の社長がスポンサーになり自動車の国産化を研究していた。同年8月にはタイヤ・チューブ以外はすべて国産品で仕上げた4人乗り2気筒の自動車を完成。警視庁検査にも合格して同年末には栄えある「国産自動車第一号」が誕生したのであった。
山田鉄工所はその後、國末自動車製作所となり、明治45(1912)年には経済界や工業会など財界有志の出資により株式会社東京自動車製作所へと発展。本格的な国産自動車製造への道を進みはじめた。そして、日本の自動車産業に大きく関わることとなったのです。